6月25日午後11時、尾瀬ハイクバスツアーのバスは一路「尾瀬」を目指して池袋を出発しました。今回は夜行バスの旅ということもあり、一人旅は寂しかったので、社員を誘ったところ、旅行好きの男性社員が参加してくれる事となり、むくつけき男二人の珍道中と相成りました。
折りしも梅雨前線が北上し朝からかなり強い雨が降っていましたが、私の心は雨に煙る「尾瀬ヶ原」「至仏山(しぶつさん)」「燧岳(ひうちがたけ)」の眺めに思いを馳せていました。一緒の彼には物好きな親父だと写ったのかも知れませんが。
バスは早朝5時にスタート地点である「鳩待峠(はとまちとうげ)」に到着します。折からの雨も上がり、「鳩待峠」から最初の目的地「山の鼻」まで、早朝の爽やかな空気と静寂そして小鳥のさえずりの中、滑りやすい木道に気をつけながら約1時間かけて下ります。
「山の鼻」のビジターセンターで小休止をした後、「上田代」を経由し「中田代三叉路」へと向かいます。眼前には「燧岳(ひうちがたけ)、背面には「至仏山(しぶつさん)」の雄姿が、と言いたいところですが、生憎の天候でガスっています。しかし、遮る物のない広大な湿原は殺伐とした現代人の心を癒して余りあるものです。
「中田代三叉路」で小休止をした後、「竜宮十字路」を目指して歩きます。周辺には湿原特有の池塘(ちとう)や浮島が数多く見られます。池塘とは、河川の氾濫によって窪地に水が溜まったり、河道が変わったことによって三日月湖となったためできあがったといわれています。このように書くと単なる水たまりと考えがちですが、その後の成長過程が沼や池と異なります。沼や池は土砂の流入により年々水深が浅くなりますが、池塘は逆に水深が深くなるのです。それは泥炭層の堆積速度の違いによるもので、底部の泥炭層は年間0.1ミリしか堆積しないのに対し、岸辺は年間0.7〜1ミリ堆積するためです。それゆえ年々水深が深くなっていくという面白い現象が生じているのです。
「竜宮十字路」に到着する頃から急に雨脚が強くなり、急いで雨具に着替え傘を差し次の目的地「ヨッピ吊橋」へ急ぐ事にしました。ところが二人とも慌てていたのでしょう、後で気が付くのですが、更に奥地のルートへ足を延ばしていたのです。
間違ったコース上では雨が強く写真どころではありません。暫く歩くと山小屋らしき建物が見えてきたので、目的の場所に到達したものと喜んだのですが、それも束の間、そこに立てられていた案内板を見てやっと自分達が別のルートに迷い込んだことが分かったのです。
びっくりしたのは我々です。今来た道を引き返せば1時間のロスで元のルートへ戻れる。このまま進めば元のルートには戻れないが目的地には1時間のロスで到達する。すぐさま帰りのバスの時間を二人の頭脳コンピューターで計算し、このままのルートを強行軍で突っ切ることにしました。それからの二人の歩くペースが速くなったのは言わずもがなです。
その後、かなり遠回りながら、花鳥草木を愛でながら当初の目的地「ヨッピ橋」を目指します。ところが途中渡った橋には「只見川」の文字と「ここから新潟県」の文字が書いてあったからさあ二度ビックリ。スワまた道を間違って隣の県まで来てしまったのかと思い、前から来た若いハイカーに尋ねてみたところ、彼らも余り自信はなさそうでしたが、それなりの回答を得たのでそのまま足を進めることにしました。後で気が付いたのですが、地図をよく見てみると「尾瀬」は群馬、新潟、福島の三つの県境に跨っていることを。
「ヨッピ吊橋」を過ぎるともう迷うものは何もありません。時間を何度となく計算し直すと十分帰りのバスに間に合いそうです。再びのんびりなウォーキングを・・・と言いたいところですが、疲れの方もピークに差しかかり、二人とも無言で黙々と歩き続けるだけでした。
ルートもいよいよ終盤に差しかかり、「山の鼻」から「鳩待峠」へのルートは往路の反対に上りとなります。「行きはよいよい帰りは怖い」の歌詞と同様、急な上りを息を切らせ膝を震わせながらやっとのことでスタート地点まで戻って来たのでした。ルートを間違ったことにより、通常5時間半のコースを、6時間半かけて「尾瀬が原」をほぼ1周するロングウォーキングになってしまいました。
帰りの車中で、若い社員は疲れで眠りこけてしまい、私は仕方なく一人で缶チューハイ3本+ワンカップ1本+ありあわせの肴で東京まで暇を持て余していたのでした。
今回の「尾瀬」は、「尾瀬」の代名詞でもある「水芭蕉」の時期は終わったらしく、あの白い花は朽ち果て茶色に変色し、葉は巨大な草木と化していましたし、ほかの花も丁度季節の変わり目なのか、慌てていて気が付かなかったのか、図鑑で見るような固有の花を見つけることができずチョッピリ残念なウォーキングでした。と同時に二人旅に甘えて地図を確認しなかった自分を反省したところです。